2009年12月29日
2009年12月26日
2009年10月10日
平敷兼七氏を悼む
平敷兼七氏を悼む
弱者への共感満ちる写真
沖縄現代写真の旗手・平敷兼七氏が10月3日未明、家族に看とられながら、永久へと旅立ってしまった。このあまりにも急な訃報に誰もが耳を疑った。肺炎を発症し、期せずして2日目に迎えた突然の終焉。61歳の若すぎる結末を、彼を知る誰もが受け容れたくはなかった。
平敷氏は1948(昭和23)年、今帰仁村上運天に生をうけた。沖縄工業高校デザイン科在学中に写真に魅せられ、東京写真大学を経て、69年東京綜合写真専門学校へ進学。在学中から頭角をあらわし、同年『週刊ポスト』に「祖国復帰を拒否する女達」を発表。沖縄タイムス・ホールでの初の個展「オキナワ・南灯寮」を開催。翌70年『カメラ毎日』3月号に「故郷の沖縄」を発表。以来一貫して「沖縄」だけを撮り、写真によって「人間とは何か、沖縄人とは…」を生涯探求しつづけた。
彼の写真に収められたのは、名も知れぬ人たちの日常と、その延長線上に浮かび上がる祭祀の光景。そして自身の家族や友人、知人の姿である。いずれもが非商業的で真面目(シリアス)な眼差しに貫かれている。鉄の暴風に襲われた沖縄戦での地勢崩壊、その後の米軍統治、日本復帰など、いきなりもたらされ、押し付けられた社会構造の劇的な変容。それら構造と地勢の変化がもたらす歪みによって、不遇にも底辺に否応なく皺寄せされた無名の人々。あるいは黙々と離島苦を生きる人たち。つまりは社会的な弱者にだけ、彼のカメラは向けられた。
彼はこう記している「カメラを持っても、被写体や場から滲み出てくる何かがあるまで、じっと待っている。写真は偶然性のものだけど、カメラマンがシャッターを切ることは偶然ではない。そこに何か共感しているから切る。それがその人の感性なんだと思う」。
彼の感性から導かれる眼差しと写真作品には、俗受けを狙ったいやらしさや、はったり、ごまかしは一切ない。せっぱつまった(ドラスティックな)状況を被写体に求めることもない。その姿勢は、被写体から何かを「奪う」のではなく、「受け容れる」心に満ちている。シャープな切り口(フレーミング)だが、温かく、優しい。撮影には、想像を絶するほど長期の歳月をかける。そして、それを発表するのも、心の中で納得できるだけの熟成の歳月を要した。
2007年彼の主著となる写真集『山羊の肺沖縄一九六八―二〇〇五年』(影書房)が刊行された。この写真集は、当時大学生だった中條朝氏が平敷氏とその作品に出会い、強い衝撃と感銘を受け、写真集刊行を決意して奔走。南風原文化センターを中心に県外にもまたがる友人・知人らの支援によって創り出された、幸せな写真集である。同名の写真展が東京、大阪で開催され、県内写真界としては初となる伊奈信男賞を受賞。平敷氏の写真世界への深い理解と高い評価も定着し、いよいよこれからが彼の活躍も佳境を迎えようとしていた、その矢先の訃報。まことに無念である。
末尾に私事を記させていただく。1971年7月、私は初めて沖縄を訪れ、平敷氏と出会った。米軍統治下にあった沖縄での私の「身元引受人」であり、最初のウチナーンチュの親友である。私は厚かましくも半年に亘り、平敷宅に居候を決め込み、写真暗室をいっしょに作ったりした。彼の撮影にはいつも同行させてくれて、島での人との接し方や作法を私に無言で教えてくれた。翌年、私は宮古島で下宿することになるが、そこに彼が訪ねて来てくれた。宮古・八重山の祭りを求めていっしょに旅したのが、忘れられない想い出である。
以来、彼との交友は途絶えた事はないが、今年の6月、彼からこう声をかけられた。「あのとき、ふたりで撮った宮古島狩俣・島尻のウヤガンの写真で二人展をしよう」。いまとなっては、この約束は実現できず、私の心はぽっかりと空いたままだ。 私の沖縄の写真の出発は、彼の導きによるものである。私はこの御恩への感謝を忘れた事はない。これからも忘れない。
彼を知る全ての人たちとともに、彼の冥福を祈りたい。
勇崎哲史ゆうざきてつし:写真家/プランナー。1949年札幌市生まれ。2007年から那覇市
弱者への共感満ちる写真
沖縄現代写真の旗手・平敷兼七氏が10月3日未明、家族に看とられながら、永久へと旅立ってしまった。このあまりにも急な訃報に誰もが耳を疑った。肺炎を発症し、期せずして2日目に迎えた突然の終焉。61歳の若すぎる結末を、彼を知る誰もが受け容れたくはなかった。
平敷氏は1948(昭和23)年、今帰仁村上運天に生をうけた。沖縄工業高校デザイン科在学中に写真に魅せられ、東京写真大学を経て、69年東京綜合写真専門学校へ進学。在学中から頭角をあらわし、同年『週刊ポスト』に「祖国復帰を拒否する女達」を発表。沖縄タイムス・ホールでの初の個展「オキナワ・南灯寮」を開催。翌70年『カメラ毎日』3月号に「故郷の沖縄」を発表。以来一貫して「沖縄」だけを撮り、写真によって「人間とは何か、沖縄人とは…」を生涯探求しつづけた。
彼の写真に収められたのは、名も知れぬ人たちの日常と、その延長線上に浮かび上がる祭祀の光景。そして自身の家族や友人、知人の姿である。いずれもが非商業的で真面目(シリアス)な眼差しに貫かれている。鉄の暴風に襲われた沖縄戦での地勢崩壊、その後の米軍統治、日本復帰など、いきなりもたらされ、押し付けられた社会構造の劇的な変容。それら構造と地勢の変化がもたらす歪みによって、不遇にも底辺に否応なく皺寄せされた無名の人々。あるいは黙々と離島苦を生きる人たち。つまりは社会的な弱者にだけ、彼のカメラは向けられた。
彼はこう記している「カメラを持っても、被写体や場から滲み出てくる何かがあるまで、じっと待っている。写真は偶然性のものだけど、カメラマンがシャッターを切ることは偶然ではない。そこに何か共感しているから切る。それがその人の感性なんだと思う」。
彼の感性から導かれる眼差しと写真作品には、俗受けを狙ったいやらしさや、はったり、ごまかしは一切ない。せっぱつまった(ドラスティックな)状況を被写体に求めることもない。その姿勢は、被写体から何かを「奪う」のではなく、「受け容れる」心に満ちている。シャープな切り口(フレーミング)だが、温かく、優しい。撮影には、想像を絶するほど長期の歳月をかける。そして、それを発表するのも、心の中で納得できるだけの熟成の歳月を要した。
2007年彼の主著となる写真集『山羊の肺沖縄一九六八―二〇〇五年』(影書房)が刊行された。この写真集は、当時大学生だった中條朝氏が平敷氏とその作品に出会い、強い衝撃と感銘を受け、写真集刊行を決意して奔走。南風原文化センターを中心に県外にもまたがる友人・知人らの支援によって創り出された、幸せな写真集である。同名の写真展が東京、大阪で開催され、県内写真界としては初となる伊奈信男賞を受賞。平敷氏の写真世界への深い理解と高い評価も定着し、いよいよこれからが彼の活躍も佳境を迎えようとしていた、その矢先の訃報。まことに無念である。
末尾に私事を記させていただく。1971年7月、私は初めて沖縄を訪れ、平敷氏と出会った。米軍統治下にあった沖縄での私の「身元引受人」であり、最初のウチナーンチュの親友である。私は厚かましくも半年に亘り、平敷宅に居候を決め込み、写真暗室をいっしょに作ったりした。彼の撮影にはいつも同行させてくれて、島での人との接し方や作法を私に無言で教えてくれた。翌年、私は宮古島で下宿することになるが、そこに彼が訪ねて来てくれた。宮古・八重山の祭りを求めていっしょに旅したのが、忘れられない想い出である。
以来、彼との交友は途絶えた事はないが、今年の6月、彼からこう声をかけられた。「あのとき、ふたりで撮った宮古島狩俣・島尻のウヤガンの写真で二人展をしよう」。いまとなっては、この約束は実現できず、私の心はぽっかりと空いたままだ。 私の沖縄の写真の出発は、彼の導きによるものである。私はこの御恩への感謝を忘れた事はない。これからも忘れない。
彼を知る全ての人たちとともに、彼の冥福を祈りたい。
勇崎哲史ゆうざきてつし:写真家/プランナー。1949年札幌市生まれ。2007年から那覇市
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14:46
2009年10月07日
平敷兼七さんを悼む
平敷兼七さんを悼む 大城和喜
何時のころからか、自作の汚れたカバンを肩にひげ面にメガネを掛けたゾウリの男が、僕の前に現れるようになった。ポンコツ車に乗って。以来、催し物や展示会の度に彼はやってきた。
平敷兼七は、誰も見ようとしない沖縄を見た。基地や政治闘争より、目立たない貧しい人々を撮った。復帰の日は、伊平屋島にいた。中心の那覇ではなく、周縁の小さな離島から激動の歴史の瞬間を見つめた。
平敷は決して拳を振り上げない。まるで「山羊の肺」のようだ。山羊の肺とは、排除され疎外されながらも、底辺で強くたくましく生きる愚直な人々の象徴である。それがまた沖縄の内臓なのだ。
平敷自身もドモリのため、小さいころからいじめられ劣等感を抱き、彼自身もまた疎外されてきたのだ。彼が写真の道を選んだのも、言葉を使わないで済むからでなはいかと、ふと思う。
平敷の仕事の集大成が写真集「山羊の肺」。山羊の肺は、名もなく貧しく生きる人々、職業婦人・薬物患者・アルコール依存症・障害者、いずれも家族や社会から排除された人々の応援歌だ。
「脳は宇宙をかけめぐる」は薬物患者であり、「まわりの人の心を豊かにする少年」は、おそらく知的発達の遅れた人であり、「昼間から酒を飲む人」はアルコール依存症、「私にジュースをおごってくれた人」も普通ではない。
写真の長いタイトルが実にいい。「籠をつくり部落の人から金をもらい生計を立てている人」「双子産み一人は家族にとられ、もう一人をとられまいとして逃げ回ってる女性」など、実に愛情たっぷりな表現だ。決して気取らないのが平敷の人格だ。
この「山羊の肺」で平敷は、写真界の最高峰「伊奈信男賞」(2008年度)を県内で初めて受賞し、その祝賀会を貧しい僕の文化センターで開いた。「なぜ那覇のホテルでしないか」と聞いたら、「ぼ ぼくの原点は 文化センターだから」と言った。
2008年、東京・大阪で開いた受賞記念展が好評だったと喜び、新文化センターの仕事を共に取り組んでいた矢先、いきなり逝ってしまった。僕に、さよならも言わないで。
平敷は、死んだのではなく、沖縄の風と空気に溶解したのだ。そして、沖縄の千の風になった。僕は、「山羊の肺」の精神から多くを学んだ。ありがとう、敬愛する平敷兼七さん。
(南風原文化センター館長)
何時のころからか、自作の汚れたカバンを肩にひげ面にメガネを掛けたゾウリの男が、僕の前に現れるようになった。ポンコツ車に乗って。以来、催し物や展示会の度に彼はやってきた。
平敷兼七は、誰も見ようとしない沖縄を見た。基地や政治闘争より、目立たない貧しい人々を撮った。復帰の日は、伊平屋島にいた。中心の那覇ではなく、周縁の小さな離島から激動の歴史の瞬間を見つめた。
平敷は決して拳を振り上げない。まるで「山羊の肺」のようだ。山羊の肺とは、排除され疎外されながらも、底辺で強くたくましく生きる愚直な人々の象徴である。それがまた沖縄の内臓なのだ。
平敷自身もドモリのため、小さいころからいじめられ劣等感を抱き、彼自身もまた疎外されてきたのだ。彼が写真の道を選んだのも、言葉を使わないで済むからでなはいかと、ふと思う。
平敷の仕事の集大成が写真集「山羊の肺」。山羊の肺は、名もなく貧しく生きる人々、職業婦人・薬物患者・アルコール依存症・障害者、いずれも家族や社会から排除された人々の応援歌だ。
「脳は宇宙をかけめぐる」は薬物患者であり、「まわりの人の心を豊かにする少年」は、おそらく知的発達の遅れた人であり、「昼間から酒を飲む人」はアルコール依存症、「私にジュースをおごってくれた人」も普通ではない。
写真の長いタイトルが実にいい。「籠をつくり部落の人から金をもらい生計を立てている人」「双子産み一人は家族にとられ、もう一人をとられまいとして逃げ回ってる女性」など、実に愛情たっぷりな表現だ。決して気取らないのが平敷の人格だ。
この「山羊の肺」で平敷は、写真界の最高峰「伊奈信男賞」(2008年度)を県内で初めて受賞し、その祝賀会を貧しい僕の文化センターで開いた。「なぜ那覇のホテルでしないか」と聞いたら、「ぼ ぼくの原点は 文化センターだから」と言った。
2008年、東京・大阪で開いた受賞記念展が好評だったと喜び、新文化センターの仕事を共に取り組んでいた矢先、いきなり逝ってしまった。僕に、さよならも言わないで。
平敷は、死んだのではなく、沖縄の風と空気に溶解したのだ。そして、沖縄の千の風になった。僕は、「山羊の肺」の精神から多くを学んだ。ありがとう、敬愛する平敷兼七さん。
(南風原文化センター館長)
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16:57
2009年10月07日
平敷兼七さん逝く
伊奈信男賞写真家、平敷兼七氏が死去 61歳
2009年10月4日
写真家の平敷兼七(へしき・けんしち)氏が3日午前、肺炎のため死去した。61歳。今帰仁村出身。故人の遺志により、葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は妻。
高校時代から写真を撮り始め、東京の写真学校で本格的に撮影技術を学んだ。当時から県出身学生が生活する南灯寮(東京都狛江市)を継続的に撮影。生きるために歓楽街で働く女性たち、街のごみを拾い集めるお年寄りら社会的弱者の立場に置かれた人々の姿など、独自の視点で沖縄の姿を記録し続けた。
2008年5月に東京・銀座ニコンサロンで、約40年にわたる写真活動を集大成した写真展「山羊の肺 1968―2005年」を開催し、同展で県内初の第33回「伊奈信男賞」(ニコンサロン写真展年度賞)を受賞した。著書に「山羊の肺 1968―2005年」、「金城美智子・光と影の世界」など。
2009年10月4日
写真家の平敷兼七(へしき・けんしち)氏が3日午前、肺炎のため死去した。61歳。今帰仁村出身。故人の遺志により、葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は妻。
高校時代から写真を撮り始め、東京の写真学校で本格的に撮影技術を学んだ。当時から県出身学生が生活する南灯寮(東京都狛江市)を継続的に撮影。生きるために歓楽街で働く女性たち、街のごみを拾い集めるお年寄りら社会的弱者の立場に置かれた人々の姿など、独自の視点で沖縄の姿を記録し続けた。
2008年5月に東京・銀座ニコンサロンで、約40年にわたる写真活動を集大成した写真展「山羊の肺 1968―2005年」を開催し、同展で県内初の第33回「伊奈信男賞」(ニコンサロン写真展年度賞)を受賞した。著書に「山羊の肺 1968―2005年」、「金城美智子・光と影の世界」など。
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16:16
2009年03月18日
平敷兼七さん 土門拳賞最終選考5作品にノミネート
特集:第28回土門拳賞 今森光彦氏「昆虫 4億年の旅」
壮大なイノチの賛歌
2008年に優れた作品を発表した写真家に贈られる第28回「土門拳賞」は今森光彦氏に決まった。
「昆虫 4億年の旅」(東京都写真美術館、新潮社より同名写真集)は、今森氏が30年にわたり、世界の熱帯雨林、砂漠から、国内の自然まで、世界中の昆虫を求めて精力的に取材活動を続け、既成の生態写真にとらわれない独特な自然観に基づく作品群。
生命の神秘と驚異に満ちた昆虫の世界をあますことなくとらえている。
写真家、評論家、学芸員など約90人の推薦委員より推薦された作品から、最終選考には今森氏のほか、「山羊の肺 沖縄一九六八-二〇〇五年」(影書房)と同写真展(銀座ニコンサロン)、大西成明「ロマンティック・リハビリテーション」(ランダムハウス講談社)と同写真展(エプサイト)、渡邉博史「パラダイス・イデオロギー」(窓社)と同名写真展(銀座ニコンサロン)、森村泰昌「Yasumasa Morimura Requiem for the XX Century Twilight of the Turbulent Gods」(SKIRA)の5作品が残った。
このなかから、自然と人間のかかわりを探求する視野が広く奥行きの深いテーマ性、膨大な時間をかけて作品に取り組んできた強靱(きょうじん)な持続力、また独創的で卓抜した表現力などが高く評価され、選考委員の全員が一致して今森氏を支持した。
■選評 松山巖
かつても、いまも、今森光彦氏は昆虫少年である。氏は昨年はじめて、昆虫をテーマにした本格的な写真展「昆虫 4億年の旅」を開き、また展示した写真を再編集し、同名の写真集にまとめた。いずれも氏が長い間かけて撮り続けてきた昆虫写真の集大成といえる。
氏の写した、ちいさな虫たちの姿はじつに美しい。見る者はその美しさに思わず幻惑され、一瞬にして魅了される。しかしそれだけではなく、よく見ると一匹一匹の昆虫たちが、それぞれユニークな表情をもっていることにあらためて気づく。その表情はときにユーモラスでさえある。
ここに昆虫少年である氏の目が光っている。虫たちの美しさと表情を慈しみつつ見つめている。さらに見れば、虫たちは生息する土地に応じて生き残るために、群れとして多彩な生態をとることにも気づかされるだろう。昆虫への愛情と知識、危険な土地をも踏査する行動力がなければ撮れない写真ばかりである。結果、氏の写真はおのずとちいさな、しかし昆虫が生まれてから4億年という壮大なイノチたちのドラマを賛歌している。
と同時に、この写真を前にして多くの人たちは、写真こそがこのようにちいさなイノチのドラマを撮ることができるのだと理解し、写真家がワンカットワンカットを撮るときの、興奮とおののき、息をつめた瞬間を、あたかも自身が昆虫少年になった思いで見つめるに違いない。写真の可能性と写真家の仕事の素晴らしさを、長年の研鑽(けんさん)を、明瞭(めいりょう)に示した今森氏の写真は本賞にふさわしい。
壮大なイノチの賛歌
2008年に優れた作品を発表した写真家に贈られる第28回「土門拳賞」は今森光彦氏に決まった。
「昆虫 4億年の旅」(東京都写真美術館、新潮社より同名写真集)は、今森氏が30年にわたり、世界の熱帯雨林、砂漠から、国内の自然まで、世界中の昆虫を求めて精力的に取材活動を続け、既成の生態写真にとらわれない独特な自然観に基づく作品群。
生命の神秘と驚異に満ちた昆虫の世界をあますことなくとらえている。
写真家、評論家、学芸員など約90人の推薦委員より推薦された作品から、最終選考には今森氏のほか、「山羊の肺 沖縄一九六八-二〇〇五年」(影書房)と同写真展(銀座ニコンサロン)、大西成明「ロマンティック・リハビリテーション」(ランダムハウス講談社)と同写真展(エプサイト)、渡邉博史「パラダイス・イデオロギー」(窓社)と同名写真展(銀座ニコンサロン)、森村泰昌「Yasumasa Morimura Requiem for the XX Century Twilight of the Turbulent Gods」(SKIRA)の5作品が残った。
このなかから、自然と人間のかかわりを探求する視野が広く奥行きの深いテーマ性、膨大な時間をかけて作品に取り組んできた強靱(きょうじん)な持続力、また独創的で卓抜した表現力などが高く評価され、選考委員の全員が一致して今森氏を支持した。
■選評 松山巖
かつても、いまも、今森光彦氏は昆虫少年である。氏は昨年はじめて、昆虫をテーマにした本格的な写真展「昆虫 4億年の旅」を開き、また展示した写真を再編集し、同名の写真集にまとめた。いずれも氏が長い間かけて撮り続けてきた昆虫写真の集大成といえる。
氏の写した、ちいさな虫たちの姿はじつに美しい。見る者はその美しさに思わず幻惑され、一瞬にして魅了される。しかしそれだけではなく、よく見ると一匹一匹の昆虫たちが、それぞれユニークな表情をもっていることにあらためて気づく。その表情はときにユーモラスでさえある。
ここに昆虫少年である氏の目が光っている。虫たちの美しさと表情を慈しみつつ見つめている。さらに見れば、虫たちは生息する土地に応じて生き残るために、群れとして多彩な生態をとることにも気づかされるだろう。昆虫への愛情と知識、危険な土地をも踏査する行動力がなければ撮れない写真ばかりである。結果、氏の写真はおのずとちいさな、しかし昆虫が生まれてから4億年という壮大なイノチたちのドラマを賛歌している。
と同時に、この写真を前にして多くの人たちは、写真こそがこのようにちいさなイノチのドラマを撮ることができるのだと理解し、写真家がワンカットワンカットを撮るときの、興奮とおののき、息をつめた瞬間を、あたかも自身が昆虫少年になった思いで見つめるに違いない。写真の可能性と写真家の仕事の素晴らしさを、長年の研鑽(けんさん)を、明瞭(めいりょう)に示した今森氏の写真は本賞にふさわしい。
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18:31
2009年03月08日
2008年12月11日
第33回伊奈信男賞 受賞祝賀会
第33回伊奈信男賞 受賞祝賀会
平敷 兼七 『山羊の肺』
12月20日(土)午後6時~ 会費/2000円
南風原文化センターTel 098-889-7399
平敷 兼七 『山羊の肺』
12月20日(土)午後6時~ 会費/2000円
南風原文化センターTel 098-889-7399
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11:43
2008年12月06日
平敷さんが伊奈信男賞【琉球新報】
弱者撮り37年「新しい価値創出」
浦添市
写真家 平敷さんが伊奈信男賞
【東京】優れた写真展に贈られる第三十三回「伊奈信男賞」(ニコンサロン写真展年度賞)の授賞式が十二月二日、新宿区の新宿ニコンサロンで開かれ、写真展「山羊の肺1968-2005」で受賞した浦添市の写真家・平敷兼七さん(六〇)に賞状が贈られた。
「山羊の肺」は生活のために歓楽街で働く女性たち、街のごみを拾い集めるお年寄りら社会的弱者の姿をとらえた写真展。
「今ある価値の再生産ではなく、新しい価値の創出にかかわる仕事に重きを置き、賞を選考した。平敷さんの写真は新しい価値を創出するものだ」(畠山直哉選考委員)と評価された。
木村眞琴選考委員長から賞状と記念品のカメラを贈られた平敷さんは「ニコンサロンで個展できるだけでも大変なことだと思っていた。賞をもらえることができ、うれしい限りだ」とあいさつした。
「伊奈信男賞」は東京と大阪にある写真ギャラリー・ニコンサロンで毎年十月から翌年九月の一年間に開催された写真展の中で特に優れた作品に贈られる。
浦添市
写真家 平敷さんが伊奈信男賞
【東京】優れた写真展に贈られる第三十三回「伊奈信男賞」(ニコンサロン写真展年度賞)の授賞式が十二月二日、新宿区の新宿ニコンサロンで開かれ、写真展「山羊の肺1968-2005」で受賞した浦添市の写真家・平敷兼七さん(六〇)に賞状が贈られた。
「山羊の肺」は生活のために歓楽街で働く女性たち、街のごみを拾い集めるお年寄りら社会的弱者の姿をとらえた写真展。
「今ある価値の再生産ではなく、新しい価値の創出にかかわる仕事に重きを置き、賞を選考した。平敷さんの写真は新しい価値を創出するものだ」(畠山直哉選考委員)と評価された。
木村眞琴選考委員長から賞状と記念品のカメラを贈られた平敷さんは「ニコンサロンで個展できるだけでも大変なことだと思っていた。賞をもらえることができ、うれしい限りだ」とあいさつした。
「伊奈信男賞」は東京と大阪にある写真ギャラリー・ニコンサロンで毎年十月から翌年九月の一年間に開催された写真展の中で特に優れた作品に贈られる。
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16:35
2008年11月27日
第33回 伊奈信男賞 平敷 兼七 「山羊の肺 沖縄」
第33回(2008年) 伊奈信男賞
平敷 兼七写真展 「山羊の肺 沖縄1968-2005年」
内容:
山羊は沖縄の生き写しだ。気性はきまじめでおとなしく優しいのだが、最後にはその絶妙な味ゆえに殺され食べられてしまう。タイトルの「山羊の肺」は、沖縄の歴史と文化の象徴のようだ。
本展は、黙々と働いている名もなき人々、人生をマンガタミー(*)して底辺で生きる『職業婦人』、『渚の人々』、『沖縄戦で死んでいった人達のための「俑」』など1968~2005年の作品で構成されている。
写真のタイトルが面白い。〈脳は宇宙をかけめぐる〉、〈空き缶を拾いそれを売って家を作った人〉、〈好きな男が女の所から出てくるのを朝までまっている女性〉、〈双子を生み一人は家庭にとられ、もう一人をとられまいとして逃げ廻っている女性〉。
戦後の混乱のさなか、自ら生きていくために、あるいは家族の生活のために「職業婦人」となった女性たち。彼女たちは、沖縄が復興を遂げていく過程で次第に社会の「恥部」と見なされるようになり、村や家族からも排除されていった。写真には、「復興」と「復帰」の蔭で打ち捨てられた女性たちの姿が刻まれている。同時代をともに生き、被写体となった人々が平敷のカメラに向ける眼差しは、静かに深く見るものを見返す。
*人の不幸をみんな自分で背負うこと
―平敷兼七写真集刊行委員会
= http://www.nikon-image.com/jpn/activity/salon/awards/ina/winners/33.htm
授賞理由:
今年一年、審査会では古い写真による応募が目についた。今でも情緒あふれる浅草界隈、と思いきや、実は昭和中期に撮られた写真だから、レトロに見えても当然なのであった。他にも60年代末の学生運動を扱ったものがあった。80年代末のバブル期土地経済を扱ったものがあった。事情は異なるが、すでにこの世を去っている方からの応募もあり、これには驚いた。
古い写真を見せるというこの傾向は、懐古的というよりもむしろ現代的と思えた。写真家たちが撮影者としての態度だけではなく、受容者としての態度も身につけ始めたということだからだ。このような二重の態度を持たない限り、すべての写真が宿命的に孕み、発酵させてゆく、あの「過去」や「記憶」といった哲学的難題を扱うことはできないに違いない。そう感じさせるところが現代的なのである。しかしながら、そのことを意識する写真家にはまず、容赦のないほど長い、人生の時間を過ごす覚悟が必要になってくるだろう。
平敷兼七氏の「山羊の肺」は、1968年から2005年までの、彼の長い仕事の総集編といった趣だった。そこに見える沖縄は、多くが「もう消えてしまった」という強い郷愁を与えてくるものであるが、同時に、平敷兼七氏というすぐれた撮影者の視線は、まるで一本の丈夫な糸のようにしてそれぞれの写真を縫い上げており、その先端にあるだろう針は、沖縄の現在に、そして私たちの心に、ぷすりと刺さるのだった。
40年もの時間を計画的に、この日のために捧げてきた訳ではないだろう。毎日を生きたから、写真を続けたから、結果的にこうなっている。だが「山羊の肺」は、決して「結果」には見えず、むしろ「いま」として体験される。これは特別なことだ。彼の写真実践の根底に、科学的な観察心や芸術的な世界把握の方法が豊かに存在していることの証である。他の応募作より際だっていたこの点が、今回の受賞の大きな理由となった。美味しい古酒はやはり、心を込めて造られた泡盛からしか生まれないのだと教えられた。
プロフィール:
1948年沖縄今帰仁村(なきじんそん)上運天(かみうんてん)生まれ。69年東京写真大学工学部中退。『週刊ポスト』にて「祖国復帰を拒否する女達」を発表。72年東京綜合写真専門学校卒業。『カメラ毎日』3月号にて「故郷の沖縄」を発表。79年山城見信著『美尻毛原の神々』の写真を担当(宮城彦士氏とともに)。85年嘉納辰彦・石川真生らと同人写真誌『美風』創刊。98年東川町国際写真フェスティバル(北海道)へ講師として招待される。
写真展に、69年「オキナワ・南灯寮」(沖縄タイムスホール)、87年合同写真展「美風」(那覇市民ギャラリー)、92年「写真で考える沖縄の戦後史展」(パレットくもじ/那覇市ほか)へ出展。2002年「琉球烈像―写真で見るオキナワ」(那覇市民ギャラリー)へ出展。06年「金武から来た女性」(新宿アガジベベー/Gallery銀座芸術研究所)、07年「山羊の肺」(南風原文化センター/Galleryラファイエット)、「沖縄文化の軌跡1872-2007」(沖縄県立美術館)へ出展。
写真集に、91年『金城美智子・光と影の世界』、92年『沖縄を救った女性達』『沖縄の祭り―宮古の狩俣島民の夏のプーズ』『沖縄戦で死んでいった人達のための「俑」』(以上私家版)、96年『島武己』、07年『山羊の肺』がある。
2008年10月31より12月21まで東京国立近代美術館にて行われる沖縄・プリズム1872-2008に出展。
平敷 兼七写真展 「山羊の肺 沖縄1968-2005年」
内容:
山羊は沖縄の生き写しだ。気性はきまじめでおとなしく優しいのだが、最後にはその絶妙な味ゆえに殺され食べられてしまう。タイトルの「山羊の肺」は、沖縄の歴史と文化の象徴のようだ。
本展は、黙々と働いている名もなき人々、人生をマンガタミー(*)して底辺で生きる『職業婦人』、『渚の人々』、『沖縄戦で死んでいった人達のための「俑」』など1968~2005年の作品で構成されている。
写真のタイトルが面白い。〈脳は宇宙をかけめぐる〉、〈空き缶を拾いそれを売って家を作った人〉、〈好きな男が女の所から出てくるのを朝までまっている女性〉、〈双子を生み一人は家庭にとられ、もう一人をとられまいとして逃げ廻っている女性〉。
戦後の混乱のさなか、自ら生きていくために、あるいは家族の生活のために「職業婦人」となった女性たち。彼女たちは、沖縄が復興を遂げていく過程で次第に社会の「恥部」と見なされるようになり、村や家族からも排除されていった。写真には、「復興」と「復帰」の蔭で打ち捨てられた女性たちの姿が刻まれている。同時代をともに生き、被写体となった人々が平敷のカメラに向ける眼差しは、静かに深く見るものを見返す。
*人の不幸をみんな自分で背負うこと
―平敷兼七写真集刊行委員会
= http://www.nikon-image.com/jpn/activity/salon/awards/ina/winners/33.htm
授賞理由:
今年一年、審査会では古い写真による応募が目についた。今でも情緒あふれる浅草界隈、と思いきや、実は昭和中期に撮られた写真だから、レトロに見えても当然なのであった。他にも60年代末の学生運動を扱ったものがあった。80年代末のバブル期土地経済を扱ったものがあった。事情は異なるが、すでにこの世を去っている方からの応募もあり、これには驚いた。
古い写真を見せるというこの傾向は、懐古的というよりもむしろ現代的と思えた。写真家たちが撮影者としての態度だけではなく、受容者としての態度も身につけ始めたということだからだ。このような二重の態度を持たない限り、すべての写真が宿命的に孕み、発酵させてゆく、あの「過去」や「記憶」といった哲学的難題を扱うことはできないに違いない。そう感じさせるところが現代的なのである。しかしながら、そのことを意識する写真家にはまず、容赦のないほど長い、人生の時間を過ごす覚悟が必要になってくるだろう。
平敷兼七氏の「山羊の肺」は、1968年から2005年までの、彼の長い仕事の総集編といった趣だった。そこに見える沖縄は、多くが「もう消えてしまった」という強い郷愁を与えてくるものであるが、同時に、平敷兼七氏というすぐれた撮影者の視線は、まるで一本の丈夫な糸のようにしてそれぞれの写真を縫い上げており、その先端にあるだろう針は、沖縄の現在に、そして私たちの心に、ぷすりと刺さるのだった。
40年もの時間を計画的に、この日のために捧げてきた訳ではないだろう。毎日を生きたから、写真を続けたから、結果的にこうなっている。だが「山羊の肺」は、決して「結果」には見えず、むしろ「いま」として体験される。これは特別なことだ。彼の写真実践の根底に、科学的な観察心や芸術的な世界把握の方法が豊かに存在していることの証である。他の応募作より際だっていたこの点が、今回の受賞の大きな理由となった。美味しい古酒はやはり、心を込めて造られた泡盛からしか生まれないのだと教えられた。
プロフィール:
1948年沖縄今帰仁村(なきじんそん)上運天(かみうんてん)生まれ。69年東京写真大学工学部中退。『週刊ポスト』にて「祖国復帰を拒否する女達」を発表。72年東京綜合写真専門学校卒業。『カメラ毎日』3月号にて「故郷の沖縄」を発表。79年山城見信著『美尻毛原の神々』の写真を担当(宮城彦士氏とともに)。85年嘉納辰彦・石川真生らと同人写真誌『美風』創刊。98年東川町国際写真フェスティバル(北海道)へ講師として招待される。
写真展に、69年「オキナワ・南灯寮」(沖縄タイムスホール)、87年合同写真展「美風」(那覇市民ギャラリー)、92年「写真で考える沖縄の戦後史展」(パレットくもじ/那覇市ほか)へ出展。2002年「琉球烈像―写真で見るオキナワ」(那覇市民ギャラリー)へ出展。06年「金武から来た女性」(新宿アガジベベー/Gallery銀座芸術研究所)、07年「山羊の肺」(南風原文化センター/Galleryラファイエット)、「沖縄文化の軌跡1872-2007」(沖縄県立美術館)へ出展。
写真集に、91年『金城美智子・光と影の世界』、92年『沖縄を救った女性達』『沖縄の祭り―宮古の狩俣島民の夏のプーズ』『沖縄戦で死んでいった人達のための「俑」』(以上私家版)、96年『島武己』、07年『山羊の肺』がある。
2008年10月31より12月21まで東京国立近代美術館にて行われる沖縄・プリズム1872-2008に出展。
Posted by とよチャンネル at
20:03
2008年11月27日
「 うしなわれしものたち 」
ムーブ
「 うしなわれしものたち 」
1968~2005・沖縄
製作著作:RBC琉球放送
時を経るにつれ、街は、人は
姿を変えていきます。
過去の忘却・・・それは成長への代償。
忘れてはならないことも
意識されることなく消え去り
未来永劫、戻ってくることはありません。
沖縄で写真を撮り続けるカメラマンがいます。
平敷兼七。60歳。
彼の写真は
消え去ったもの、忘れ去ったことを
見る者に思い起こさせます。
印画紙に封印された「沖縄」。
その時、そのままの形で
写し出された
消え去ったもの、忘れ去ったこと。
それは、忘却の上に立って
成長し続け、生き続ける私たちに
今の有りようの異様さを突きつけます。
「記録は記憶を触発する」
私たちは何を失い、何を得たのでしょうか。
番組内容の紹介は → こちら。
番組はナレーション無し。
写真と映像、それに簡潔な文字スーパーで
物語を綴ります。
--------------------------------------------------------------------------------
放送局と放映日時
NBC長崎放送 9月7日(日) 24:30
RKB毎日放送 9月7日(日) 24:40
MBC南日本放送 9月8日(月) 25:00
RKK熊本放送 9月10日(水) 25:55
RBC琉球放送 9月10日(水) 25:57
MRT宮崎放送 9月11日(木) 10:50
OBS大分放送 9月14日(日) 25:20
大半の局は深夜の放送となりますが
ご覧いただけると幸いです。
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20:00
2008年11月10日
平敷兼七 第三十三回伊奈信男賞 (琉球新報)
平敷兼七さん浦添市・写真家
ニコン写真展 年度賞を受賞
県内初、社会的弱者写す
二〇〇八年度のニコンサロン写真展年度(第三十三回伊奈信男賞)に、このほど浦添市の写真家・平敷兼七さん(六〇)の写真展「山羊の肺 1968-2005年」が選ばれた。
同賞の受賞は県内から初めて。
平敷さんは約四十年の写真活動の集大成として、昨年、写真集「山羊の肺」を出版。
今年五月と六月に東京と大阪のニコンサロンで写真展を開いた。
展示したのは一九六八年から八〇年代にかけ撮影した写真。
歓楽街で働く女性たちやごみを拾い集めるお年寄りなど「復興」と「復帰」の陰で、ひっそりと生きる社会的弱者の姿などをとらえた。
ニコンサロン選考委員会(木村眞琴委員長)は受賞理由で「『山羊の肺』は平敷氏の長い仕事の総集編という趣だった。だが、『結果』には見えず、むしろ『いま』として体験される。これは特別なことだ。写真実践の根底に科学的な観察心や芸術的な世界把握の方法が豊かに存在していることの証しだ」と評価した。
受賞の知らせに、平敷さんは「ニコンサロンで写真展を開いただけでも栄誉なのに、まさか賞をもらえるなんて。びっくりしている。」と喜んでいた。
ニコン写真展 年度賞を受賞
県内初、社会的弱者写す
二〇〇八年度のニコンサロン写真展年度(第三十三回伊奈信男賞)に、このほど浦添市の写真家・平敷兼七さん(六〇)の写真展「山羊の肺 1968-2005年」が選ばれた。
同賞の受賞は県内から初めて。
平敷さんは約四十年の写真活動の集大成として、昨年、写真集「山羊の肺」を出版。
今年五月と六月に東京と大阪のニコンサロンで写真展を開いた。
展示したのは一九六八年から八〇年代にかけ撮影した写真。
歓楽街で働く女性たちやごみを拾い集めるお年寄りなど「復興」と「復帰」の陰で、ひっそりと生きる社会的弱者の姿などをとらえた。
ニコンサロン選考委員会(木村眞琴委員長)は受賞理由で「『山羊の肺』は平敷氏の長い仕事の総集編という趣だった。だが、『結果』には見えず、むしろ『いま』として体験される。これは特別なことだ。写真実践の根底に科学的な観察心や芸術的な世界把握の方法が豊かに存在していることの証しだ」と評価した。
受賞の知らせに、平敷さんは「ニコンサロンで写真展を開いただけでも栄誉なのに、まさか賞をもらえるなんて。びっくりしている。」と喜んでいた。
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13:26
2008年07月16日
沖縄の「日常」淡々と (朝日新聞)
沖縄の「日常」淡々と (朝日新聞2008年5月14日・朝刊)
大学生ら編集の写真集を機に作品展
沖縄の「日常」を撮影している写真家、平敷兼七さん(60)=沖縄県浦添市=の作品展が、14日から中央区銀座7丁目の銀座ニコンサロンで開かれる。
「職業婦人」と呼ばれる娼婦のスナップなど、本土で抱く沖縄のイメージとは違った白黒写真が並ぶ。
きっかけは、昨年出版した「山羊の肺 沖縄 一九六八-二〇〇五年」。
平敷さんの作品にひかれた小金井市の大学生、中條朝さん(25) が中心になって編集した写真集だ。(小石勝朗)
平敷さん撮影の100枚
2人の最初の出会いは02年の沖縄。
中條さんはテレビ番組取材班の「手伝い」で、平敷さんは取材班の「案内役兼運転手」だった。
翌年、東京経済大を休学して旅に出た中條さんは、沖縄で平敷さんと偶然再開する。
自宅に招かれ、初めて写真家と知った。
写真を見せてもらって目を奪われたのが、「職業婦人」を被写体にした作品群。
「ポルノのようになったり、見下したりしていない。彼女たちがちゃんとこちらをみている」
それまでの平敷さんの写真集は私家版で流通していないこともあり、自分の手で作りたいと考えるようになった。
東京に戻って、知人と刊行委員会を結成。
文化人や学者ら約140名から賛同募金を集め、出版が決まった。
平敷さんから約千枚の写真が三つの段ボールで送られてきた。
「職業婦人」の素顔や生活を切り取った57枚をはじめ、離島を含めた各地の人々の表情や風景を淡々ととらえた計168枚を選んだ。
「理屈から入ってほしくない」と、あえてストーリー性の薄い構成にして、題も写真のそばには写真のそばには載せなかった。
撮影したのは、72年に沖縄が日本に復帰する少し前から現在まで。
平敷さんは「復帰運動や経済復興に関係なく、黙々と働いている無名の人たちを撮り続けた」と語っており、見ただけでは年代がわからない写真も目立つという。
中條さんによると、本土では写真集に「これが沖縄のなの?」という反応が多い。
だが、沖縄では「懐かしいな」「私がいた風景だよ」と声が返ってくる。
「きれいな海や基地のイメージだけでなく、沖縄にはこんな姿があることを見てほしい。基地や開発の問題も、そこから『実感』として伝わってくると思う」
作品展は、復帰記念日の15日を挟んで27日まで。
「山羊の肺」に載らなかった写真を含めて約100点を展示する。
6月には、沖縄戦が終結したとされる23日に合わせて大阪市でも開く。
平敷さんにとって本土のギャラリーでの本格的な個展は初めて。
「日本全土に共通する写真だと思っている。沖縄は本土から特別扱いされている印象だけど、知ってもらえば変わらないことがわかるはず」と話している。
午前10時~午後7時、入場無料。会期中、平敷さんが会場に詰め、「山羊の肺」(影書房、3675円)も販売する。
大学生ら編集の写真集を機に作品展
沖縄の「日常」を撮影している写真家、平敷兼七さん(60)=沖縄県浦添市=の作品展が、14日から中央区銀座7丁目の銀座ニコンサロンで開かれる。
「職業婦人」と呼ばれる娼婦のスナップなど、本土で抱く沖縄のイメージとは違った白黒写真が並ぶ。
きっかけは、昨年出版した「山羊の肺 沖縄 一九六八-二〇〇五年」。
平敷さんの作品にひかれた小金井市の大学生、中條朝さん(25) が中心になって編集した写真集だ。(小石勝朗)
平敷さん撮影の100枚
2人の最初の出会いは02年の沖縄。
中條さんはテレビ番組取材班の「手伝い」で、平敷さんは取材班の「案内役兼運転手」だった。
翌年、東京経済大を休学して旅に出た中條さんは、沖縄で平敷さんと偶然再開する。
自宅に招かれ、初めて写真家と知った。
写真を見せてもらって目を奪われたのが、「職業婦人」を被写体にした作品群。
「ポルノのようになったり、見下したりしていない。彼女たちがちゃんとこちらをみている」
それまでの平敷さんの写真集は私家版で流通していないこともあり、自分の手で作りたいと考えるようになった。
東京に戻って、知人と刊行委員会を結成。
文化人や学者ら約140名から賛同募金を集め、出版が決まった。
平敷さんから約千枚の写真が三つの段ボールで送られてきた。
「職業婦人」の素顔や生活を切り取った57枚をはじめ、離島を含めた各地の人々の表情や風景を淡々ととらえた計168枚を選んだ。
「理屈から入ってほしくない」と、あえてストーリー性の薄い構成にして、題も写真のそばには写真のそばには載せなかった。
撮影したのは、72年に沖縄が日本に復帰する少し前から現在まで。
平敷さんは「復帰運動や経済復興に関係なく、黙々と働いている無名の人たちを撮り続けた」と語っており、見ただけでは年代がわからない写真も目立つという。
中條さんによると、本土では写真集に「これが沖縄のなの?」という反応が多い。
だが、沖縄では「懐かしいな」「私がいた風景だよ」と声が返ってくる。
「きれいな海や基地のイメージだけでなく、沖縄にはこんな姿があることを見てほしい。基地や開発の問題も、そこから『実感』として伝わってくると思う」
作品展は、復帰記念日の15日を挟んで27日まで。
「山羊の肺」に載らなかった写真を含めて約100点を展示する。
6月には、沖縄戦が終結したとされる23日に合わせて大阪市でも開く。
平敷さんにとって本土のギャラリーでの本格的な個展は初めて。
「日本全土に共通する写真だと思っている。沖縄は本土から特別扱いされている印象だけど、知ってもらえば変わらないことがわかるはず」と話している。
午前10時~午後7時、入場無料。会期中、平敷さんが会場に詰め、「山羊の肺」(影書房、3675円)も販売する。
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13:04
2008年05月22日
弱者に軸足丹念に撮る 都内で平敷さん写真展(琉球新報)
弱者に軸足丹念に撮る 都内で平敷さん写真展
2008年5月15日(琉球新報)
= http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-132118-storytopic-6.html
【東京】1960年代後半から今日まで沖縄の姿を撮り続ける写真家・平敷兼七さん(60)=浦添市=の写真展「山羊の肺」が14日から中央区の銀座ニコンサロンで始まった。平敷さんの作品は復帰運動などに象徴される「激動の沖縄」への視点からは見逃されがちな県民の日々の営みを丹念に描き出している。
平敷さんは「復帰後、沖縄の風景は変わった。しかし、人の心は根本的には変わっていないと思う」と話している。
展示されているのは主に1968年から80年代にかけて撮影した約150点。デモ行進や著名人の写真はほとんどなく、生活のために歓楽街で働く女性たち、街のごみを拾い集めるお年寄りら社会的弱者の立場に置かれた人々の姿をとらえている。
平敷さんは今帰仁村出身。高校時代から写真を撮るようになり、写真学校で本格的に撮影技術を学んだ。その当時から県出身学生が学ぶ南灯寮(東京都狛江市)を継続的に撮影するなど、独自の視点で沖縄の姿を記録してきた。昨年、40年近くに及ぶ活動を写真集「山羊の肺」(影書房)にまとめた。
平敷さんは「若かったころは(物事を)あまり分かっていなかった。知りたいという思いから写真を撮ることができた。人生経験が豊富になると逆に撮れなくなるものもある」と振り返った。写真展は27日まで。6月には大阪でも開催する。
2008年5月15日(琉球新報)
= http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-132118-storytopic-6.html
【東京】1960年代後半から今日まで沖縄の姿を撮り続ける写真家・平敷兼七さん(60)=浦添市=の写真展「山羊の肺」が14日から中央区の銀座ニコンサロンで始まった。平敷さんの作品は復帰運動などに象徴される「激動の沖縄」への視点からは見逃されがちな県民の日々の営みを丹念に描き出している。
平敷さんは「復帰後、沖縄の風景は変わった。しかし、人の心は根本的には変わっていないと思う」と話している。
展示されているのは主に1968年から80年代にかけて撮影した約150点。デモ行進や著名人の写真はほとんどなく、生活のために歓楽街で働く女性たち、街のごみを拾い集めるお年寄りら社会的弱者の立場に置かれた人々の姿をとらえている。
平敷さんは今帰仁村出身。高校時代から写真を撮るようになり、写真学校で本格的に撮影技術を学んだ。その当時から県出身学生が学ぶ南灯寮(東京都狛江市)を継続的に撮影するなど、独自の視点で沖縄の姿を記録してきた。昨年、40年近くに及ぶ活動を写真集「山羊の肺」(影書房)にまとめた。
平敷さんは「若かったころは(物事を)あまり分かっていなかった。知りたいという思いから写真を撮ることができた。人生経験が豊富になると逆に撮れなくなるものもある」と振り返った。写真展は27日まで。6月には大阪でも開催する。
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12:37
2008年05月22日
疎外された人への愛情(琉球新報)
2008年5月12日(琉球新報)
平敷兼七写真展
「山羊の肺」
東京・大阪開催によせて ----大城和喜
疎外された人への愛情
飾らない「写真ヌジャー」
「山羊の肺」。
意味不明な人を悩ますタイトルだ。
山羊は分かるが、なぜ、肺なのか。
しかし、不可解な分、なぜかしら奥ゆかしく、何かありそうで人を惹き付ける。
タイトルの「山羊」は、沖縄の庶民の暮らしを連想させる。
平敷兼七は、名もない貧しい人々の暮らしを、愛情というか親近感というか連帯感を持って見つめる。
障害者、アル中、薬物患者、職業婦人、半端者等、いずれも家族や社会から排除された人々に愛情の目を注いでいる。
「脳は宇宙をかけめぐる」は、薬物患者であり、「まわりの人の心を豊かにする少年」は、おそらく知的障害であり、「昼間から酒を飲む人」はアル中であり、「私にジュースをおごってくれた女性」も普通ではない。
さらに、「籠を作り部落の者から金をもらい生計をたてている男」「双子を産み一人は家族にとられ、もう一人をとられまいと逃げ回っている女性」「部落に帰ってきた人を最初に迎えてくれる人」もまた、家族や社会から排除され、疎外された人々である。
それらのタイトルは、彼ら彼女たちへの平敷の愛情と親近感をよく表していて愉快だ。
シャレてない。
哀れんでいない。
気取ってもいない。
自然のままの表情が実にいい。
だから、余りも不足もない。
愚直な山羊のようだ。
平敷の飾らない優しい人格がここにある。
それにしても、排除され疎外された人々の、何とも優しいまなざしでなないか。
何とも屈託のない笑顔ではないか。
何とも素直で美しい人々ではないか。
彼らこそ、一切の常識やしがらみから開放された自由人ではないのか。
山羊の肺とは、自らの運命を受け入れ、しなやかに強く生き抜く彼らの事ではないか。
平敷は、そう問いかけ、彼らを排除した僕たちを逆照射する。
写真を「ヌジュン」という。
ヌジュンとは、魂を抜き取ることだ。
平敷兼七は、社会の周縁で強く生きる、内臓たちの喜怒哀楽に寄り添う、山羊のような優しき「写真ヌジャー」なのだ。
写真展の盛会を期待したい。
(南風原文化センター館長)
平敷兼七写真展「山羊の肺 沖縄1968年ー2005年」は東京銀座ニコンサロンで5月14日から同27日まで。
開館時間は午前10時ー午後7時。
大阪ニコンサロンで6月12日から同25日まで開催する。
開館時間は午前11時ー午後7時。
平敷兼七写真展
「山羊の肺」
東京・大阪開催によせて ----大城和喜
疎外された人への愛情
飾らない「写真ヌジャー」
「山羊の肺」。
意味不明な人を悩ますタイトルだ。
山羊は分かるが、なぜ、肺なのか。
しかし、不可解な分、なぜかしら奥ゆかしく、何かありそうで人を惹き付ける。
タイトルの「山羊」は、沖縄の庶民の暮らしを連想させる。
平敷兼七は、名もない貧しい人々の暮らしを、愛情というか親近感というか連帯感を持って見つめる。
障害者、アル中、薬物患者、職業婦人、半端者等、いずれも家族や社会から排除された人々に愛情の目を注いでいる。
「脳は宇宙をかけめぐる」は、薬物患者であり、「まわりの人の心を豊かにする少年」は、おそらく知的障害であり、「昼間から酒を飲む人」はアル中であり、「私にジュースをおごってくれた女性」も普通ではない。
さらに、「籠を作り部落の者から金をもらい生計をたてている男」「双子を産み一人は家族にとられ、もう一人をとられまいと逃げ回っている女性」「部落に帰ってきた人を最初に迎えてくれる人」もまた、家族や社会から排除され、疎外された人々である。
それらのタイトルは、彼ら彼女たちへの平敷の愛情と親近感をよく表していて愉快だ。
シャレてない。
哀れんでいない。
気取ってもいない。
自然のままの表情が実にいい。
だから、余りも不足もない。
愚直な山羊のようだ。
平敷の飾らない優しい人格がここにある。
それにしても、排除され疎外された人々の、何とも優しいまなざしでなないか。
何とも屈託のない笑顔ではないか。
何とも素直で美しい人々ではないか。
彼らこそ、一切の常識やしがらみから開放された自由人ではないのか。
山羊の肺とは、自らの運命を受け入れ、しなやかに強く生き抜く彼らの事ではないか。
平敷は、そう問いかけ、彼らを排除した僕たちを逆照射する。
写真を「ヌジュン」という。
ヌジュンとは、魂を抜き取ることだ。
平敷兼七は、社会の周縁で強く生きる、内臓たちの喜怒哀楽に寄り添う、山羊のような優しき「写真ヌジャー」なのだ。
写真展の盛会を期待したい。
(南風原文化センター館長)
平敷兼七写真展「山羊の肺 沖縄1968年ー2005年」は東京銀座ニコンサロンで5月14日から同27日まで。
開館時間は午前10時ー午後7時。
大阪ニコンサロンで6月12日から同25日まで開催する。
開館時間は午前11時ー午後7時。
Posted by とよチャンネル at
12:34
2008年05月21日
平敷兼七「山羊の肺:沖縄1968-2005年」
平敷兼七「山羊の肺:沖縄1968-2005年」
6日後終了
銀座ニコンサロンにて
メディア: 写真
= http://www.tokyoartbeat.com/event/2008/E82A
山羊は沖縄の生き写しだ。気性はきまじめでおとなしく優しいのだが、最後にはその絶妙な味ゆえに殺され食べられてしまう。タイトルの「山羊の肺」は、沖縄の歴史と文化の象徴のようだ。
本展は、黙々と働いている名もなき人々、人生をマンガタミー(*)して底辺で生きる『職業婦人』、『渚の人々』、『沖縄戦で死んでいった人達のための「俑」』など1968~2005年の作品で構成されている。
写真のタイトルが面白い。〈脳は宇宙をかけめぐる〉、〈空き缶を拾いそれを売って家を作った人〉、〈好きな男が女の所から出てくるのを朝までまっている女性〉、〈双子を生み一人は家庭にとられ、もう一人をとられまいとして逃げ廻っている女性〉。
戦後の混乱のさなか、自ら生きていくために、あるいは家族の生活のために「職業婦人」となった女性たち。彼女たちは、沖縄が復興を遂げていく過程で次第に社会の「恥部」と見なされるようになり、村や家族からも排除されていった。写真には、「復興」と「復帰」の蔭で打ち捨てられた女性たちの姿が刻まれている。同時代をともに生き、被写体となった人々が平敷のカメラに向ける眼差しは、静かに深く見るものを見返す。
*人の不幸をみんな自分で背負うこと
6日後終了
銀座ニコンサロンにて
メディア: 写真
= http://www.tokyoartbeat.com/event/2008/E82A
山羊は沖縄の生き写しだ。気性はきまじめでおとなしく優しいのだが、最後にはその絶妙な味ゆえに殺され食べられてしまう。タイトルの「山羊の肺」は、沖縄の歴史と文化の象徴のようだ。
本展は、黙々と働いている名もなき人々、人生をマンガタミー(*)して底辺で生きる『職業婦人』、『渚の人々』、『沖縄戦で死んでいった人達のための「俑」』など1968~2005年の作品で構成されている。
写真のタイトルが面白い。〈脳は宇宙をかけめぐる〉、〈空き缶を拾いそれを売って家を作った人〉、〈好きな男が女の所から出てくるのを朝までまっている女性〉、〈双子を生み一人は家庭にとられ、もう一人をとられまいとして逃げ廻っている女性〉。
戦後の混乱のさなか、自ら生きていくために、あるいは家族の生活のために「職業婦人」となった女性たち。彼女たちは、沖縄が復興を遂げていく過程で次第に社会の「恥部」と見なされるようになり、村や家族からも排除されていった。写真には、「復興」と「復帰」の蔭で打ち捨てられた女性たちの姿が刻まれている。同時代をともに生き、被写体となった人々が平敷のカメラに向ける眼差しは、静かに深く見るものを見返す。
*人の不幸をみんな自分で背負うこと
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17:27
2008年05月21日
平敷兼七「山羊の肺:沖縄1968-2005年」
平敷兼七「山羊の肺:沖縄1968-2005年」
6日後終了
銀座ニコンサロンにて
メディア: 写真
山羊は沖縄の生き写しだ。気性はきまじめでおとなしく優しいのだが、最後にはその絶妙な味ゆえに殺され食べられてしまう。タイトルの「山羊の肺」は、沖縄の歴史と文化の象徴のようだ。
本展は、黙々と働いている名もなき人々、人生をマンガタミー(*)して底辺で生きる『職業婦人』、『渚の人々』、『沖縄戦で死んでいった人達のための「俑」』など1968~2005年の作品で構成されている。
写真のタイトルが面白い。〈脳は宇宙をかけめぐる〉、〈空き缶を拾いそれを売って家を作った人〉、〈好きな男が女の所から出てくるのを朝までまっている女性〉、〈双子を生み一人は家庭にとられ、もう一人をとられまいとして逃げ廻っている女性〉。
戦後の混乱のさなか、自ら生きていくために、あるいは家族の生活のために「職業婦人」となった女性たち。彼女たちは、沖縄が復興を遂げていく過程で次第に社会の「恥部」と見なされるようになり、村や家族からも排除されていった。写真には、「復興」と「復帰」の蔭で打ち捨てられた女性たちの姿が刻まれている。同時代をともに生き、被写体となった人々が平敷のカメラに向ける眼差しは、静かに深く見るものを見返す。
*人の不幸をみんな自分で背負うこと
6日後終了
銀座ニコンサロンにて
メディア: 写真
山羊は沖縄の生き写しだ。気性はきまじめでおとなしく優しいのだが、最後にはその絶妙な味ゆえに殺され食べられてしまう。タイトルの「山羊の肺」は、沖縄の歴史と文化の象徴のようだ。
本展は、黙々と働いている名もなき人々、人生をマンガタミー(*)して底辺で生きる『職業婦人』、『渚の人々』、『沖縄戦で死んでいった人達のための「俑」』など1968~2005年の作品で構成されている。
写真のタイトルが面白い。〈脳は宇宙をかけめぐる〉、〈空き缶を拾いそれを売って家を作った人〉、〈好きな男が女の所から出てくるのを朝までまっている女性〉、〈双子を生み一人は家庭にとられ、もう一人をとられまいとして逃げ廻っている女性〉。
戦後の混乱のさなか、自ら生きていくために、あるいは家族の生活のために「職業婦人」となった女性たち。彼女たちは、沖縄が復興を遂げていく過程で次第に社会の「恥部」と見なされるようになり、村や家族からも排除されていった。写真には、「復興」と「復帰」の蔭で打ち捨てられた女性たちの姿が刻まれている。同時代をともに生き、被写体となった人々が平敷のカメラに向ける眼差しは、静かに深く見るものを見返す。
*人の不幸をみんな自分で背負うこと
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17:25
2008年05月21日
ニコンで平敷兼七「沖縄の陰」展
ニコンで平敷兼七「沖縄の陰」展
= http://ginzanews.com/headline/3476/
ニコン(千代田区丸の内3-2-3、富士ビル、03-3214-5311)が運営する銀座ニコンサロン(中央区銀座7-10-1、03-5537-1434)で2008年5月14日から5月27日まで写真家の平敷兼七さんによる「山羊の肺 沖縄1968-2005年」を開催する。
写真家の平敷兼七(へしき・けんしち)さんが沖縄の「職業婦人」などに焦点を当てた個展で、タイトルの「山羊(やぎ)の肺」はおとなしい山羊が最後には食べられるということから、沖縄の歴史と文化を象徴させており、2007年4月20日に「山羊の肺-平敷兼七写真集 沖縄1968-2005年」(3675円)を刊行している。
沖縄では1945年以降の混乱期の中で、自分や家族が生きていくために、「職業婦」となった女性が、復興を遂げていく過程で次第に社会の「恥部」と見なされ、村や家族から排除されていく。
中には「復興」と「復帰」の陰で打ち捨てられた女性たちの姿が刻まれている。平敷兼七さんが1968年以降撮影してきた「脳は宇宙をかけめぐる」、「空き缶を拾いそれを売って家を作った人」、「好きな男が女の所から出てくるのを朝までまっている女性」、「双子を生み一人は家庭にとられ、もう一人をとられまいとして逃げ回っている女性」など2005年までの作品90点を展示する。
平敷兼七さんは1948年沖縄の今帰仁村上運天(なきじんそんかみうんてん)生まれ、1969年に東京写真大学工学部を中退、「週刊ポスト」で「祖国復帰を拒否する女達」を発表し、1972年に東京総合写真専門学校を卒業、同年「カメラ毎日」に「故郷の沖縄」を発表し、プロとしてデビューした。1974年から個展を開催し、1985年に同人写真誌「美風」を創刊した。その後も個展、グループ展を開催している。現在「アトリエフォト2」(沖縄県浦添市字城間2573、098-879-3880)を主宰している。
開場時間は10時から19時(最終日は16時)、入場は無料。(2008-05-06)
= http://ginzanews.com/headline/3476/
ニコン(千代田区丸の内3-2-3、富士ビル、03-3214-5311)が運営する銀座ニコンサロン(中央区銀座7-10-1、03-5537-1434)で2008年5月14日から5月27日まで写真家の平敷兼七さんによる「山羊の肺 沖縄1968-2005年」を開催する。
写真家の平敷兼七(へしき・けんしち)さんが沖縄の「職業婦人」などに焦点を当てた個展で、タイトルの「山羊(やぎ)の肺」はおとなしい山羊が最後には食べられるということから、沖縄の歴史と文化を象徴させており、2007年4月20日に「山羊の肺-平敷兼七写真集 沖縄1968-2005年」(3675円)を刊行している。
沖縄では1945年以降の混乱期の中で、自分や家族が生きていくために、「職業婦」となった女性が、復興を遂げていく過程で次第に社会の「恥部」と見なされ、村や家族から排除されていく。
中には「復興」と「復帰」の陰で打ち捨てられた女性たちの姿が刻まれている。平敷兼七さんが1968年以降撮影してきた「脳は宇宙をかけめぐる」、「空き缶を拾いそれを売って家を作った人」、「好きな男が女の所から出てくるのを朝までまっている女性」、「双子を生み一人は家庭にとられ、もう一人をとられまいとして逃げ回っている女性」など2005年までの作品90点を展示する。
平敷兼七さんは1948年沖縄の今帰仁村上運天(なきじんそんかみうんてん)生まれ、1969年に東京写真大学工学部を中退、「週刊ポスト」で「祖国復帰を拒否する女達」を発表し、1972年に東京総合写真専門学校を卒業、同年「カメラ毎日」に「故郷の沖縄」を発表し、プロとしてデビューした。1974年から個展を開催し、1985年に同人写真誌「美風」を創刊した。その後も個展、グループ展を開催している。現在「アトリエフォト2」(沖縄県浦添市字城間2573、098-879-3880)を主宰している。
開場時間は10時から19時(最終日は16時)、入場は無料。(2008-05-06)
Posted by とよチャンネル at
17:22
2008年03月31日
ニコンサロンで写真展開催!
ニコンサロンで写真展開催
= http://www.nikon-image.com/jpn/activity/salon/exhibition/2008/05_ginza-2.htm
<写真展内容>
山羊は沖縄の生き写しだ。気性はきまじめでおとなしく優しいのだが、最後にはその絶妙な味ゆえに殺され食べられてしまう。タイトルの「山羊の肺」は、沖縄の歴史と文化の象徴のようだ。
本展は、黙々と働いている名もなき人々、人生をマンガタミー(*)して底辺で生きる『職業婦人』、『渚の人々』、『沖縄戦で死んでいった人達のための「俑」』など1968~2005年の作品で構成されている。
写真のタイトルが面白い。〈脳は宇宙をかけめぐる〉、〈空き缶を拾いそれを売って家を作った人〉、〈好きな男が女の所から出てくるのを朝までまっている女性〉、〈双子を生み一人は家庭にとられ、もう一人をとられまいとして逃げ廻っている女性〉。
戦後の混乱のさなか、自ら生きていくために、あるいは家族の生活のために「職業婦人」となった女性たち。彼女たちは、沖縄が復興を遂げていく過程で次第に社会の「恥部」と見なされるようになり、村や家族からも排除されていった。写真には、「復興」と「復帰」の蔭で打ち捨てられた女性たちの姿が刻まれている。同時代をともに生き、被写体となった人々が平敷のカメラに向ける眼差しは、静かに深く見るものを見返す。
*人の不幸をみんな自分で背負うこと
―平敷兼七写真集刊行委員会
モノクロ約90点・カラー1点
<作者のプロフィール>
平敷 兼七(ヘシキ ケンシチ)
1948年沖縄今帰仁村上運天(なきじんそんかみうんてん)生まれ。69年東京写真大学工学部中退。『週刊ポスト』にて「祖国復帰を拒否する女達」を発表。72年東京綜合写真専門学校卒業。『カメラ毎日』3月号にて「故郷の沖縄」を発表。79年山城見信著『美尻毛原の神々』の写真を担当(宮城彦士氏とともに)。85年嘉納辰彦・石川真生らと同人写真誌『美風』創刊。98年東川町国際写真フェスティバル(北海道)へ講師として招待される。
写真展に、69年「オキナワ・南灯寮」(沖縄タイムスホール)、87年合同写真展「美風」(那覇市民ギャラリー)、92年「写真で考える沖縄の戦後史展」(パレットくもじ/那覇市ほか)へ出展。2002年「琉球烈像―写真で見るオキナワ」(那覇市民ギャラリー)へ出展。06年「金武から来た女性」(新宿アガジベベー/Gallery銀座芸術研究所)、07年「山羊の肺」(南風原文化センター/Galleryラファイエット)、「沖縄文化の軌跡1872-2007」(沖縄県立美術館)へ出展。
写真集に、91年『金城美智子・光と影の世界』、92年『沖縄を救った女性達』『沖縄の祭り―宮古の狩俣島民の夏のプーズ』『沖縄戦で死んでいった人達のための「俑」』(以上私家版)、96年『島武己』、07年『山羊の肺』がある。
= http://www.nikon-image.com/jpn/activity/salon/exhibition/2008/05_ginza-2.htm
<写真展内容>
山羊は沖縄の生き写しだ。気性はきまじめでおとなしく優しいのだが、最後にはその絶妙な味ゆえに殺され食べられてしまう。タイトルの「山羊の肺」は、沖縄の歴史と文化の象徴のようだ。
本展は、黙々と働いている名もなき人々、人生をマンガタミー(*)して底辺で生きる『職業婦人』、『渚の人々』、『沖縄戦で死んでいった人達のための「俑」』など1968~2005年の作品で構成されている。
写真のタイトルが面白い。〈脳は宇宙をかけめぐる〉、〈空き缶を拾いそれを売って家を作った人〉、〈好きな男が女の所から出てくるのを朝までまっている女性〉、〈双子を生み一人は家庭にとられ、もう一人をとられまいとして逃げ廻っている女性〉。
戦後の混乱のさなか、自ら生きていくために、あるいは家族の生活のために「職業婦人」となった女性たち。彼女たちは、沖縄が復興を遂げていく過程で次第に社会の「恥部」と見なされるようになり、村や家族からも排除されていった。写真には、「復興」と「復帰」の蔭で打ち捨てられた女性たちの姿が刻まれている。同時代をともに生き、被写体となった人々が平敷のカメラに向ける眼差しは、静かに深く見るものを見返す。
*人の不幸をみんな自分で背負うこと
―平敷兼七写真集刊行委員会
モノクロ約90点・カラー1点
<作者のプロフィール>
平敷 兼七(ヘシキ ケンシチ)
1948年沖縄今帰仁村上運天(なきじんそんかみうんてん)生まれ。69年東京写真大学工学部中退。『週刊ポスト』にて「祖国復帰を拒否する女達」を発表。72年東京綜合写真専門学校卒業。『カメラ毎日』3月号にて「故郷の沖縄」を発表。79年山城見信著『美尻毛原の神々』の写真を担当(宮城彦士氏とともに)。85年嘉納辰彦・石川真生らと同人写真誌『美風』創刊。98年東川町国際写真フェスティバル(北海道)へ講師として招待される。
写真展に、69年「オキナワ・南灯寮」(沖縄タイムスホール)、87年合同写真展「美風」(那覇市民ギャラリー)、92年「写真で考える沖縄の戦後史展」(パレットくもじ/那覇市ほか)へ出展。2002年「琉球烈像―写真で見るオキナワ」(那覇市民ギャラリー)へ出展。06年「金武から来た女性」(新宿アガジベベー/Gallery銀座芸術研究所)、07年「山羊の肺」(南風原文化センター/Galleryラファイエット)、「沖縄文化の軌跡1872-2007」(沖縄県立美術館)へ出展。
写真集に、91年『金城美智子・光と影の世界』、92年『沖縄を救った女性達』『沖縄の祭り―宮古の狩俣島民の夏のプーズ』『沖縄戦で死んでいった人達のための「俑」』(以上私家版)、96年『島武己』、07年『山羊の肺』がある。
Posted by とよチャンネル at
11:48
2008年01月07日
新宿「アガジベベー」
新宿「アガジベベー」
= http://www.labornetjp.org/news/2006/1157088395371staff01/newsitem_view
影書房です。
新宿「アガジベベー」で今日9月1日より30日まで開催されます、沖縄出身・在住の写真家、平敷兼七氏の写真展「金武から来た女性」をご紹介させて頂きます。
写真家・平敷兼七さんは、1948年沖縄・今帰仁村生まれの方です。沖縄の日本「復帰」と前後して写真をとりはじめ、現在も浦添市屋富祖で写真館を営みながら、故郷沖縄を撮り続けておられます。
代表作に、沖縄の「売春婦」を撮った『沖縄を救った女性たち』や、沖縄の「精神障害者」を撮った『UCHINANGHU』などがあり、沖縄社会のなかで見ない・見えない存在とされてきた人々を撮りつづけてこられました。 今回の写真展では、米軍基地のある沖縄・金武町の繁華街で、バーのホステスや「売春婦」として働く女性たちを、戦後の移り変わる街の様子とともにとらえた作品を中心に展示しております。
米軍基地のある街の繁華街で生きてきた彼女たちの人生がどのようなものであったのか、それは想像を絶しますが、戦後復興の途上でさまざまな非人間的な扱いを受けてきたであろう彼女たちは、平敷さんの写真のなかでは、とても自然な姿で私たちを見つめています。それらの写真には、底辺に生きる人々の声なき声を聞こうとする平敷さんの人間性がにじみ出ています。そして、米軍基地を残したままの「復帰」後の沖縄での、偽りの繁栄と喪失の矛盾が映し出されています。
記
平敷兼七写真展「金武から来た女性」
【新宿展】
●日 時:2006年9月1日~30日
(日・祝・休み)、18:00~24:00
●会 場:Agua De Beber(アガジベベー)
新宿ゴールデン街まねき通り。
= http://www.labornetjp.org/news/2006/1157088395371staff01/newsitem_view
影書房です。
新宿「アガジベベー」で今日9月1日より30日まで開催されます、沖縄出身・在住の写真家、平敷兼七氏の写真展「金武から来た女性」をご紹介させて頂きます。
写真家・平敷兼七さんは、1948年沖縄・今帰仁村生まれの方です。沖縄の日本「復帰」と前後して写真をとりはじめ、現在も浦添市屋富祖で写真館を営みながら、故郷沖縄を撮り続けておられます。
代表作に、沖縄の「売春婦」を撮った『沖縄を救った女性たち』や、沖縄の「精神障害者」を撮った『UCHINANGHU』などがあり、沖縄社会のなかで見ない・見えない存在とされてきた人々を撮りつづけてこられました。 今回の写真展では、米軍基地のある沖縄・金武町の繁華街で、バーのホステスや「売春婦」として働く女性たちを、戦後の移り変わる街の様子とともにとらえた作品を中心に展示しております。
米軍基地のある街の繁華街で生きてきた彼女たちの人生がどのようなものであったのか、それは想像を絶しますが、戦後復興の途上でさまざまな非人間的な扱いを受けてきたであろう彼女たちは、平敷さんの写真のなかでは、とても自然な姿で私たちを見つめています。それらの写真には、底辺に生きる人々の声なき声を聞こうとする平敷さんの人間性がにじみ出ています。そして、米軍基地を残したままの「復帰」後の沖縄での、偽りの繁栄と喪失の矛盾が映し出されています。
記
平敷兼七写真展「金武から来た女性」
【新宿展】
●日 時:2006年9月1日~30日
(日・祝・休み)、18:00~24:00
●会 場:Agua De Beber(アガジベベー)
新宿ゴールデン街まねき通り。
Posted by とよチャンネル at
15:44


